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次のグループ展のご案内です。
高木幸子さん、菅原里美さんの2人展です。 本人たちも初めての写真展ということで、いろいろ試行錯誤しているようです。 どんな写真展になるか、乞うご期待!!! 彼女たちから届いた内容は以下の通りです。
■ タイトル『Scene1Take1』
私たち映像を学ぶ学生が、 ■ 会期
12:00~19:00(終日17:00)
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9月2日(日)に台東区の東京都産業貿易センターにた開催される、村上隆氏プロデュースのGeisai #17に一写真作家として出品しますっ。
テーマはジョルジュ・バタイユの「眼球譚」をテーマにしたモノクロ写真作品。 設営が単なるスペース売りで、壁面も枠も何にもないので、六曲の屏風仕立てで、展示用の壁面を作って展示することを考えている。 これから写真の選択でドタバタしそうだ。写真作家としての仕事である。 プロフィールもちゃんとつくらなきゃね。 |
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なんだか写真が賑やかになっているらしい。この間も六本木の青山ブックセンターに行ったら、新しい写真雑誌の創刊準備号を無料で配布している。アマナホールディングスが版元だ。かっこいい雑誌だけれど、果たしてどうなることやら。またこういう雑誌には、鼻持ちならない気取った文章がきれいなレイアウトやフォントで並んでいる。それも実に嫌なものである。 かように写真に関する論議や評論がうるさいけれど、私は写真展にいってもパラパラッと一瞬で見て回ることが多い。面白いかも?と思っていくけれど、なかなか気分に引っかかる写真というものはない。それはだれでもそうだけれど。個人個人は違うからねえ。 美術手帳なんかのめんどくさい気取った文章を読みこなすのも、ギャラリーをやっている以上、日常的な仕事の一つだ。やれやれ。 クソめんどくさい写真評論など読みたくもない時は、この「写真の秘密」を読むことをお奨めする。 写真とは、光学と化学の交じり合った秘儀のひとつで、その秘儀をあやつるのが写真家である、という幸せな時代の感覚を呼び起こしてくれる。 デジタルは電気学だけだからねえ。一元的でつまらないのだよ。 写真は有機物である。ゼラチンは動物由来の物質だし、紙は植物由来の物質だし。銀だって鉱物だし、薬品はいろんなものがあるし。それを使うのは、生き物の中で最も生臭い人間だし。生臭くない写真は、どことなく情報操作の腐臭がして、胡散臭いのである。 |
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中野のFカメラで金2000円也のジャンク買いしたスーパータクマー150mmをなぜか気に入って使っている。 135mmほど大量にないし、200mmほど画角が狭くないのがいいのである。150mmという旭光学以外では多分作らなかった珍しい焦点距離もレア感いっぱいで気に入っている。 レンズはあまりカビもないようだし、まあまあちゃんと写りそう。 唯一の欠点は自動絞りのピンがゆがんでいて動かないことだが、これはマニュアル絞りにして使えばなんということもない。アナログのメカニズムであれば、多少いい加減でもちゃんと動くといういい例だ。 何度か135mmを使ってみてはいたけれど、なぜか135mmは好きになれなかった焦点距離である。身体に染み付いた写真感覚、レンズ感覚というものだろうか?よく分からないけれど。 柴犬連れの日常の散歩の時に結構気に入って150mmを使っている。こういう時は、助兵衛根性を持たずに、交換レンズなしで単玉1本勝負!というのが男らしく、いさぎよいのである。 わざわざ撮影旅行に出られない状況であるならば、日常生活の中からフォトアートしてしまうぞ、と覚悟を決めることで、結構面白い写真が撮れたりするのである。 |
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