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【2024/05/02 18:15 】 |
スコセッシの「沈黙」について

映画監督のマーチン・スコセッシが長年映画化しようとしていた、遠藤周作の小説「沈黙」が、現在台湾で撮影中とのこと。

この「沈黙」は、カトリック系の学校では読んではいけない本になっているらしく、日本人と日本の風土、キリスト教との確執を描いている。この問題はいまだに解決していない。今も世界のあちこちで火を噴いている生々しいテーマだ。

以前は、篠田正浩監督で映画化されたこともあるが、カトリック信者のスコセッシ監督だから、どんな描き方をするのか。まあキリスト教側からの描写になるだろうことは容易に想像がつく。

主人公の宣教師ロドリゴにリーアム・ニーソン、通訳に渡辺謙がキャスティングされていて、他にもイッセー尾形の名もある。
私見なのだが、イッセー尾形はおそらくキリシタンを弾圧した象徴の井上筑後守政重になるのでは、と想像している。(本当ならちゃんと所属事務所に確認すべ きなのだが)イッセー尾形という役者さんは個人的には大好きで、昭和天皇を演じたりする勇気も私は高く評価しているのである。

私は前々からこの井上筑後守政重に注目していて、いろいろと調べているのだが、まだまとまった形に出来ていないのがなんともなんとも歯がゆいばかりだ。
この井上筑後守政重という人物は、当時のキリスト教国側による日本の植民地化を水際で喰いとめ、自らはヴァチカン教皇庁にまで知られるほどの国際的な悪名をまといながら、自己弁護を一切しなかった男。(原発が事故を起こした時の、どこかの総理大臣とは違います)

このスコセッシ監督の「沈黙」が公開されたら、キリスト教を弾圧した日本というイメージがまた蔓延することであろう。オスカーなんかを取ってしまったら目も当てられない。これに同調する動きがローマでもあるみたいだし。

これに対抗する広報戦略は、侵略的な意図をもってやってきた西欧諸国にはこう対応するしかなかった、当時のキリスト教国側はこんなあくどい連中であった。 火薬原料の硝石一樽(日本には硝石は産出しないので)で日本人の女の子五十人を買って、東南アジア各地に売り飛ばすような商売をしていた、とカウンターパ ブリシティを撃っていくぐらいしかないのだろうなあ。(この商売のスタイルは武器商人か、民間軍事会社だよね)
日本人の控えめで慎み深い心性が、こんなえぐい攻撃的な広報戦略をたぶん不可能にするのであろうなあ、と嘆いているのである。

もうひとつの美しい広報戦略は、八百万の多神教世界だった日本に排他的な一神教の信仰を持ち込むのはやっぱり良くなかったよなー。「我こそは正義な りー!」という戦闘的な信仰態度を持ち込んだのはキリスト教側じゃないのかねえ?宗教的な寛容、悪く言えばいいかげんさがないから今の世界もドンパチやら ざるを得ないんだよなー。なんで今もキリスト教国側はそれが分からないのかねー?というもっとソフトな展開である。

井上筑後守政重の墓所は、巣鴨の染井霊園に今もある。またお参りに行ってみようかなー。泉下の筑後守殿は何かを語りかけてくれるかなー。

http://www.theguardian.com/…/martin-scorsese-silence-oscars…

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【2014/09/18 05:21 】 | 他のジャンルで | 有り難いご意見(0)
「カムイ伝講義」田中優子
「カムイ伝講義」の文庫本を読み始めた。以前に単行本された時から注目していたものである。白土三平ものは忍者ものが多いので大好きだった。「風のフジ丸」「サスケ」のTVアニメもよく見ていたし、フジ丸の最後に出てくる忍術研究家にも興味津々だった。
この書は、現在の日本の諸問題にもメスを入れる。広がりの深さや地球全体に関わるまなざしは、ラブやピースだけで括り切れない、百姓という生活のプロフェッショナルたちの姿を描き出す。まだまだ読みかけなのだが、あえて途中ながら記す次第である。
【2014/09/14 07:32 】 | 他のジャンルで | 有り難いご意見(0)
自分の個展を一発やってみようかな?
自分の個展をやってみるというのは、自分の立ち位置を再確認する貴重な機会である。
現在撮りためていて、きちんと発表していない作品群としては

バタイユ頌「眼球譚」
縛られ菩薩ちゃま

の2シリーズがある。

それとずっと撮りためて、時々発表してきたシリーズでは

わがロス・カプリチョス

があるが、これも小冊子としてまとめるまでにいっていない。
どちらかといえば、ジャーナリスティックな作品群だから、固定した本の形式としてはまとまりにくいのである。

さあ、どうしよう。わたしのような者でも、みんな悩んで大きくなった・・・、となるだろうか?

【2014/08/12 09:37 】 | ギャラリー4127企画展で | 有り難いご意見(0)
現代美術は壮大なフィクションなのかなあ
何となく考えていることなのだが、現代美術は壮大なフィクションじゃないかという気がしてならない。なぜ現代美術を買うのかな?投資して儲かるから?自分の世界を代弁するから?かっこいいから?なんだろう?なんだろう?
自動車と同じようなものと考えるべきなのか?鉄とプラスチック、その他、油脂を注入した機械が安ければ無料で譲ってもらえて、高いとビンテージマシンを高額なオークションで落札する。
それにまつわるイメージを売り買いしているのだろうか?移動をより効率的に、機敏にする手段なのか?
ネクタイと同じだ、と言った知人がいる。その絵柄が気に入るか、気に入らないか、だと。
私は編集者や書き手としての仕事が多いので、どうしても作り手に近い視点を持ってしまう。
作り手がそこそこ食えればいいと考えるのだ。
現代美術に関わらず、金銭を介在させて、モノを動かす仕事の価格は、ゼロから無限大だ。
現代美術は凄いと、壮大なフィクション、架空的な価値をでっち上げて、大金を動かすカジノ的なシステムを構築する。いわばビットコインの世界だ、と考えるのは間違っているのか?それがアートマーケットだ、と言ってしまったら、身も蓋もないのだろうか?
【2014/07/30 07:18 】 | ギャラリーのお仕事 | 有り難いご意見(0)
レンタルギャラリーの仕事とは何だろう?
ギャラリーを使ってまで自分の作品を出したいと思うのは、自分の作品に自信があるとか、人に見せたいといった願望がベースにある。
作品が売れればもっといいのだけれど、なかなかそこまで結びつかない。
作品が確実に売れるなら、やってもいい、というわけにはなかなかいかないものだからだ。
人に見せるというコストを考えると、レンタルギャラリーで個展をやるというのはけっこういいプレゼンテーションの方法だと思うのだが。
まだそこまで動かないというのは、何かの欠陥があるからか?
それを考えている最中だ。
【2014/07/19 23:40 】 | ギャラリーのお仕事 | 有り難いご意見(0)
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